青木崇高さんは、朝ドラ『ちりとてちん』の徒然亭草々役や大河ドラマ『龍馬伝』、映画『ゴジラ-1.0』などで強い存在感を放ち続けている俳優です。あの濃い顔立ちと、ふとした瞬間に出る関西弁のギャップから、実家はどこにあるのか、両親や兄弟はどんな人なのかと気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は青木さんの実家は大阪府八尾市にあり、地元では「八尾の魅力大使」を務めるほどの八尾愛の持ち主なんですよ。この記事では、実家の住所にまつわる話から両親や父親の人柄、出身中学や高校、国籍の噂、妻・優香さんとの関係まで、分かっていることを丁寧にまとめていきます。
青木崇高の実家は大阪府八尾市!住所と家族構成の真相
- 実家の住所は八尾市のどこにある?
- 地元はどこ?八尾という町の素顔
- 両親はどんな人?家族構成もチェック
- 父親は社交性の塊だった
- 出身中学は八尾市立曙川中学校
- 国籍が韓国という噂の真相
実家の住所は八尾市のどこにある?
青木崇高さんの実家がどこにあるのか、検索して調べている方はかなり多いようです。テレビで見せる関西弁の軽妙なやりとりを聞いていると、大阪のどのあたりで育ったのか気になりますよね。結論から言えば、実家があるのは大阪府八尾市です。ここではまず、住所についてどこまで分かっていて、どこから先は分かっていないのかを整理していきます。
公表されているのは「八尾市」までという事実
青木さんは1980年3月14日に大阪府八尾市で生まれました。所属するスターダストプロモーションのプロフィールにも八尾市出身と明記されていますし、八尾市の公式ホームページには「青木崇高さんプロフィール」という専用ページまで用意されています。
ただ、そこに書かれているのは出身地と八尾高校卒業という学歴、それに主な出演作までです。町名や番地といったレベルの情報は、公的な資料のどこにも出ていません。実家の詳しい住所は公表されていないというのが実際のところで、青木さん自身もインタビューで具体的な地名を細かく語ったことはないようです。
「市役所の近く」という推測はどこから来たのか
ネット上では「実家は八尾市役所の近くではないか」という書き込みを見かけます。これは母校の府立八尾高校が八尾市役所からほど近い場所にあることと、出身中学が八尾市立曙川中学校であることを重ね合わせた推測のようですね。
とはいえ、高校は市内全域から生徒が集まる学校です。曙川中学校の校区は市の中心部から少し東寄りにあたりますから、二つの情報を足したところで一点に絞り込めるわけではありません。あくまで「このあたりだろう」という範囲の話にとどまっています。
情報の確度を整理してみた
下記の表に、実家の住所をめぐって出回っている情報を確度別に整理しました。
| 出回っている情報 | 確度 | 根拠になっているもの |
|---|---|---|
| 実家は大阪府八尾市にある | ほぼ確実 | 事務所プロフィール・八尾市公式サイト |
| 校区は市内東部(曙川周辺) | 高い | 出身中学が八尾市立曙川中学校 |
| 現在も八尾市内に実家がある | 中程度 | 2024年放送の番組で実家が取材された |
| 町名・番地まで判明している | 低い | 公的な情報源が確認できない |
※公開されている情報を整理したもので、所在地の特定を目的としたものではありません。
ご両親は一般の方ですし、いまも同じ土地で暮らしている可能性が高いわけですから、住所の特定を狙った訪問や詮索は控えたいところです。八尾市という地名まで分かっていれば、青木さんのルーツをたどるには十分といえるでしょう。
地元はどこ?八尾という町の素顔
「青木崇高の地元はどこですか?」という疑問は、検索でも繰り返し投げかけられているようです。八尾市と言われてもピンとこない方のために、この節では町そのものの姿と、青木さんが地元とどう関わってきたのかを見ていきます。実は青木さん、若い頃は八尾のことを冷めた目で見ていた時期があったんですよ。
大阪市の東隣、ものづくりの町
八尾市は大阪市の東側に隣接する人口約26万人の中核市です。歯ブラシの生産量が日本一という珍しい肩書きを持ち、旭ポン酢やフエキ糊、ミキハウスといったなじみ深いメーカーの拠点も置かれています。フライパンで知られる藤田金属のような町工場も多く、河内音頭が今も夏を彩る土地でもあります。
青木さんは2023年放送のMBS『ごぶごぶ』で浜田雅功さんを案内した際、こうした「八尾のものづくり」の魅力を伝えたいと語っていました。ロケでは焼肉店やコロッケ店を巡りながら、地元の顔として終始うれしそうにしていたのが印象的です。
「面白くないから東京へ出た」と語っていた若い頃
意外なことに、青木さんは当初「八尾は生まれ育った場所ですが、面白くないから東京へ出てきたわけです」と話していました。多感な高校時代には、地元の良さがまるで見えていなかったんですね。それが東京で暮らすうちに変わっていきます。
のちのインタビューでは「八尾だって、よくよく分析してみたら面白い場所だったんです。ロケーションにおいても大阪市の隣で、非常に優れている」と語り直しています。離れてはじめて距離感が測れるという感覚は、地方から都会へ出た人なら思い当たるところがあるかもしれません。
魅力大使から万博のサポーターへ
2012年4月、青木さんは河内家菊水丸さんや天童よしみさん、三池崇史監督らとともに八尾の魅力大使に任命されました。本人いわく、30代後半でキャリアが一区切りついた頃に地元への意識が強くなったのだそうです。
その活動を通じて生まれたつながりが、2025年の大阪・関西万博へと続いていきます。青木さんは大阪・関西万博のスペシャルサポーターに選ばれ、会場の建設余材を使った大型アート作品「平」と「和」を制作しました。会期後には香川県・小豆島の土庄港ターミナルへ移設され、2025年10月から一般公開されています。実家のある町への思いが、こんな形で全国に広がっていったわけですね。
両親はどんな人?家族構成もチェック
実家の話題で最も関心を集めるのが、やはりご両親のことです。青木さんは家族についてあまり多くを語らないタイプですが、テレビ番組や雑誌の取材を通じて少しずつ人柄が見えてきました。ここでは家族構成と、母親についての情報をまとめます。祖母との思い出も欠かせないエピソードですよ。
両親と姉・兄がいる5人家族
青木さんの実家は両親と姉、兄、本人の5人家族で、本人は末っ子にあたります。あの体格と落ち着いた佇まいから長男だと思っていた方は、少し驚いたかもしれません。姉と兄については名前も年齢も公表されておらず、一般の方として静かに暮らしているとみられます。
下記の表に、公開情報から分かる範囲で家族構成を整理しました。
| 続柄 | 公表されている情報 | メディア露出 |
|---|---|---|
| 父親 | 一般の方。社交的で河内音頭を踊る | 顔を隠して番組出演 |
| 母親 | 小学校の教員だったとされる | 顔を隠して番組出演 |
| 姉 | 情報なし | なし |
| 兄 | 情報なし | なし |
| 祖母 | 幼少期に面倒を見てくれた。故人 | 本人が番組で回想 |
母親は小学校の先生だったという話
母親については、小学校の教員をしていたという情報が以前から出ています。根拠として語られているのは、担任クラスの児童の保護者がブログに書いた年賀状の話です。年賀状に「息子が『ちりとてちん』に出るので応援してほしい」と書き添えられていたというんですね。
現在その投稿を確認することはできませんが、複数の媒体で繰り返し紹介されてきた話です。フードライターの白央篤司さんと対談した際には、母親の手作り弁当について「盛り付けも綺麗だし、仕上がりも美しい」と絶賛され、青木さん本人がとても喜んでいたというエピソードも残っています。料理の腕前も相当なものだったようですね。
共働きの家庭と、祖母への後悔
両親が共働きだったため、幼い頃の青木さんは主に祖母に面倒を見てもらっていました。2023年6月放送のTBS『人生最高レストラン』では、人生最高の一皿に「おばあちゃんが作ったサッポロ一番しょうゆラーメン」を挙げるほどのおばあちゃん子ぶりを見せています。
同じ番組では、皿に盛られた祖母のご飯を飼い犬の餌と勘違いしてしまい、謝れないまま祖母が亡くなったという話も明かされました。40代になってもその記憶を抱え続け、番組内で「やっと謝れた」と涙する姿には、家族への思いの深さがにじんでいました。
父親は社交性の塊だった
青木崇高さんの父親については、名前も年齢も職業も公表されていません。それでも人柄がかなり伝わってきているのは、いくつかの番組と週刊誌の取材があったからです。この節では、父親がどんな人物として語られてきたのかを追っていきます。読んでいくと、青木さんの人懐っこさの出どころが見えてくるかもしれません。
河内音頭を踊る、地元に根ざした人
父親の姿が初めて広く知られたのは、芸人であり河内音頭の継承者でもある河内家菊水丸さんの公式ブログでした。「俳優の青木崇高さんのご両親。去年に引き続き、踊ってくれはりました」という言葉とともに、両親そろって写真が掲載されていたのです。
八尾は河内音頭の本場として知られる土地です。夏になれば櫓が立ち、地域の人が集まって踊る文化が今も残っています。両親がそろって踊りの輪に加わっているというだけで、地元にしっかり根を張って暮らしてきた家庭だということが伝わってきますよね。
鶴瓶さんとすぐ打ち解けた社交性
2024年4月放送のTBS『A-Studio+』では、MCの笑福亭鶴瓶さんが青木さんの実家を訪ねて両親を取材しています。顔は隠した状態での出演でしたが、最初こそ緊張していたご両親は、すぐに鶴瓶さんと親しく話し始めたそうです。
鶴瓶さんが父親の社交性の高さに驚いたというのですから、相当なものでしょう。番組では母親が保管していた、子どもの頃に青木さんが書いた「サンタさんへの手紙」も登場しました。数十年前の手紙を捨てずに取ってあるあたりに、この家族の空気感が表れています。
息子の結婚相手は、昔からのファンだった
父親をめぐる話でいちばん有名なのが、優香さんにまつわるエピソードです。青木さんの結婚が報じられた2016年、父親は週刊文春の取材に応じ、息子が知り合う前から優香さんの大ファンだったと明かしています。
そんな相手を息子が結婚相手として連れてきたのですから、驚きも喜びも相当だったはずです。ところが青木さんから「正式発表までは誰にも話すな」と口止めされ、じっと黙っていたのだとか。結局は発表前に新聞で報じられてしまい、「僕は誰にも話してないで」と弁明する羽目になったそうです。優香さんについては「落ち着きがあってとても素敵な方」とも語っていました。
出身中学は八尾市立曙川中学校
実家の場所を推し量るうえで、いちばん手がかりになるのが出身中学です。公立中学は住んでいる場所によって通う学校が決まりますから、校区がおおよその生活圏を示してくれるわけですね。青木さんが通ったのは八尾市立曙川中学校とされています。この節では中学時代のエピソードも含めて見ていきましょう。
「あけがわ」と読む市内の公立校
出身校とされているのは八尾市立曙川中学校で、読み方は「あけがわちゅうがっこう」です。八尾市内にある公立中学校のひとつで、市の中心部から東側に位置しています。小学校については校名が公表されていませんが、中学の校区から考えると八尾市立南山本小学校か八尾市立高安西小学校あたりではないかと推測されています。
ただしこれは、校区から逆算した推測にすぎず、確定した情報ではありません。青木さん本人が小学校名を語った記録は見当たらないので、あくまで「そのあたりだろう」という話として受け止めておくのがよさそうです。
5か所も骨折したやんちゃな中学時代
中学から高校にかけての青木さんは、かなり体を張った学校生活を送っていたようです。体育の授業や部活動でなんと5か所も骨折したと語っています。本人は自分のことを「ちょっと調子に乗ってしまう性格」と表現していて、お調子者だった自覚があるんですね。
一方で、子どもの頃は言いたいことを我慢する引っ込み思案なところもあり、人の顔色をよく伺うタイプだったとも振り返っています。やんちゃさと繊細さが同居していたわけで、この二面性は俳優としての幅の広さにつながっているのかもしれません。
同級生には芸人・span!の水本健一さん
中学時代の同級生には、よしもとクリエイティブエージェンシー所属の芸人でお笑いコンビ「span!」の水本健一さんがいます。二人はのちに一緒に上京しているというのですから、単なる顔見知り以上の関係だったのでしょう。
地元の同級生との距離感を伝えるエピソードもあります。青木さんが雑誌の取材で「モテますよね?」と聞かれた話を地元でしたところ、「あの青木が、青木がそんなことあるわけないやんけ」と全員に爆笑されたのだとか。有名になっても昔のまま接してくれる友人がいるというのは、実家のある町を持つ人ならではの財産ですね。
国籍が韓国という噂の真相
青木崇高さんを検索すると「国籍」という言葉が候補に挙がってきます。彫りの深い顔立ちから、外国にルーツがあるのではと考える人が一定数いるようです。とくに「在日韓国人ではないか」という噂は長く出回ってきました。この節では、その噂がどこから生まれ、実際のところはどうなのかを整理します。
結論から言えば日本国籍の日本人
在日韓国人であるという噂は事実ではありません。青木さんは大阪府八尾市生まれの日本人で、本名も「青木崇高」と公表されています。事務所のプロフィール、八尾市の公式ページ、各種の作品データベースのいずれを見ても、外国籍であることを示す記載は存在しません。
この噂の発端としてよく挙げられるのが、出身地である八尾市に在日コリアンの方が多く暮らしているという地域事情です。出身地のイメージと本人の風貌が結びつき、根拠のないまま広まったというのが実態のようですね。
韓国映画への出演が誤解を後押しした面も
2023年、青木さんは韓国映画『犯罪都市 NO WAY OUT』にリキ役で出演しました。シリーズ第3作にあたる人気作で、これが初の韓国映画出演です。制作報告会では韓国語であいさつをしており、その様子が話題になりました。
役作りのために言葉を学び、現地の関係者に敬意を示したというだけの話なのですが、こうした場面が切り取られると「やはり韓国と関係があるのでは」という誤解を強めてしまうことがあります。俳優が役のために外国語を習得するのは珍しいことではないのに、なぜか国籍の話に結びつけられてしまうんですね。
「日本人の顔」という思い込みの話
青木さん自身、インタビューで外国の方に間違われることがあると語ったことがあります。似た経験を持つ日本国籍の俳優は少なくなく、こうした誤解は本人の問題というより、受け取る側が持っている「日本人の顔」というイメージの狭さから生まれているといえるでしょう。
実際、青木さんは異国的な雰囲気を求められる役に起用されることも多く、その個性を自分の武器に変えてきました。噂の是非を確かめるより、そういう見方をしてしまう自分たちの側を一度立ち止まって考えてみる。青木さんの例は、そんなきっかけをくれる話なのかもしれません。
青木崇高の実家が育てた学歴と家族|八尾から広がった今
- 出身高校はどこですか?府立八尾高校の実力
- 大学に進学した?選んだのは専門学校
- 英語力が高いのはなぜ?
- 沖縄の縁|亡き祖父が結んだもの
- 妻・優香が実家に挨拶に行った日
- 子供はいますか?家族の今とこれから
出身高校はどこですか?府立八尾高校の実力
「青木崇高の出身高校はどこですか?」というのは、検索でもよく投げかけられている質問です。俳優としてのワイルドな印象から意外に思われるかもしれませんが、通っていたのは地元でも指折りの進学校でした。この節では高校の実力と、当時の青木さんの姿を追ってみます。
1895年創立の伝統校
出身高校は大阪府立八尾高等学校です。1895年創立、偏差値60台の府立進学校で、政財界の著名人を数多く輩出してきました。卒業生には政治家の塩川正十郎さんや演歌歌手の大月みやこさんが名を連ねています。
青木さんはこの高校に一般受験で合格しています。推薦などではなく学力試験を突破したわけですから、中学時代からきちんと勉強に向き合っていたことが分かりますね。母親が小学校の教員だったという話とあわせて考えると、家庭に学びを大事にする空気があったのかもしれません。
柔道部で汗を流した3年間
高校時代は柔道部に所属して部活動に打ち込んでいました。185cmという恵まれた体格は、この頃の鍛錬と無関係ではないでしょう。文武両道という言葉がそのまま当てはまる学生生活です。
恋愛面では苦戦していたようで、女子にモテたいと思いながら告白されたことは一度もなく、自分から告白しては振られていたと語っています。のちに「モテますよね?」と取材で聞かれた話を地元でしたら、同級生全員に爆笑されたというのは前述の通りですね。
映画好きが将来を決めた
高校生の青木さんは映画をよく観ていました。ただ、当時思い描いていた将来像は俳優ではありません。目指していたのはグラフィックデザイナーで、映画は観る側として楽しむものだったんです。
下記の表に、これまで判明している学歴をまとめました。
| 時期 | 学校 | 分かっていること |
|---|---|---|
| 小学校 | 八尾市内の公立校(校名非公表) | 校区からの推測のみ |
| 中学校 | 八尾市立曙川中学校 | 芸人・水本健一さんと同級生 |
| 高校 | 大阪府立八尾高等学校 | 一般受験で入学、柔道部所属 |
| 卒業後 | 東京デザイン専門学校(有力説) | グラフィックデザイン科 |
※小学校と専門学校については本人が明言しておらず、周辺情報からの推定を含みます。
大学に進学した?選んだのは専門学校
進学校を出ているだけに、大学はどこなのかと気になる方も多いはずです。ところが青木崇高さんの経歴をたどっていくと、大学の名前は出てきません。高校卒業後に選んだのは、まったく別の道でした。この節では専門学校進学の背景と、そこから俳優になるまでの流れを見ていきます。
目指していたのはグラフィックデザイナー
青木さんは大学には進学していません。高校卒業後に上京し、グラフィックデザインを学ぶ専門学校へ進んでいます。偏差値の高い高校に通いながら大学受験をしなかったのは、やりたいことがはっきりしていたからなんですね。
進学先は東京デザイン専門学校のグラフィックデザイン科が有力とされています。本人が校名を明言したことはありませんが、同校に通っていた人が自身のブログで青木さんを同級生として紹介していたことや、青木さんが専門学校時代に原宿でよく遊んだと語っていることが根拠に挙げられています。同校は渋谷区にあり、原宿から歩ける距離です。
デザインの学びは今も生きている
結局デザイナーとして就職することはありませんでしたが、この時期に身につけたものは消えていません。2010年公開の映画『時をかける少女』のキャンペーンで限定販売されたコラボTシャツは、青木さんがデザインを手がけたものでした。
さらに2025年には、大阪・関西万博の余材を使った大型アート作品を制作しています。俳優以外の顔として絵画やデザイン、アートワークに取り組み続けているのは、専門学校で学んだ土台があるからこそでしょう。回り道に見えた選択が、20年以上経ってから効いてくることもあるんですね。
モテたい一心で受けたオーディション
専門学校を卒業した後、映画好きが高じてレンタルビデオ店でアルバイトをしていた時期があります。そこで転機が訪れました。モデルをしていた友人を見て「モデルってモテそうだ」と思い、事務所のオーディションに応募したのです。
本人はインタビューで「雑誌とか出てる男って、モテる感じがしたんです。で、俺も、と思って」と当時を振り返っています。ところが会場で他の応募者の顔立ちを見て、その場でモデル志望から俳優志望に変更したのだとか。中途半端な気持ちを見抜かれて事務所の人と言い合いになったそうですが、2002年に映画『マッスルヒート』で俳優デビューを果たしました。22歳のときのことです。
英語力が高いのはなぜ?
青木崇高さんの意外な一面として語られるのが、英語力の高さです。海外での取材に流暢に応じる姿が動画で広まり、驚いた方も多いのではないでしょうか。俳優としての活動と並行して、なぜここまで話せるようになったのか。この節ではその背景をたどります。
デビュー前からのバックパッカー
青木さんはデビュー前からバックパッカーとして世界中を旅していました。仕事のオファーを断ってでも旅に出るという、なかなか思い切った時期もあったようです。2015年には五大陸の踏破を達成し、南極大陸以外はすべて訪れたと語っています。
本人はこの経験について「外国に行って、色々な言語、文化、価値観に触れるとショッキングだし、自分たちの感覚とは違うけど『これが世界だ』と知ることができます」と振り返っています。教室で学ぶ英語とは違う、必要に迫られて身につけた言葉というわけですね。
ニューヨークへの語学留学
もうひとつ大きいのが、2011年1月から6月までのニューヨーク語学留学です。俳優として『龍馬伝』で注目を浴びた直後という、キャリア的にはもったいないタイミングでの決断でした。
この滞在中に東日本大震災が発生します。青木さんは大きな布に現地の数百人から寄せ書きを集め、福山雅治さんのチャリティーラジオ番組へ送りました。同じ年のカンヌ国際映画祭には、出演作『一命』の公式上映に合わせてニューヨークから自費で駆けつけ、途中で野宿までしたという話も残っています。
フィリピンでの一幕が象徴的
英語力が語られるきっかけになったのが、『るろうに剣心 京都大火編』のフィリピンでのアジアプレミアです。撮影中に拳が当たって歯が折れたことを現地記者に聞かれた青木さんは、英語で「歯が折れた」と答えたうえで「でも僕は左之助だから気にしないよね?」と役になりきって会場に呼びかけ、観客を沸かせました。
下記の表に、語学と海外経験に関わる出来事を時系列で整理しました。
| 時期 | 出来事 | 行き先 |
|---|---|---|
| 2008年 | 移民100周年で単身自費渡航、落語を披露 | ペルー・パラグアイ・ブラジル |
| 2011年 | 約半年の語学留学 | アメリカ・ニューヨーク |
| 2013年 | 自転車でキリマンジャロ一周462kmを完走 | タンザニア |
| 2015年 | 五大陸の踏破を達成 | 世界各地 |
| 2023年 | 韓国映画に初出演、韓国語であいさつ | 韓国 |
沖縄との縁|亡き祖父が結んだもの
青木崇高さんと沖縄という組み合わせを不思議に思う方もいるでしょう。実家は大阪ですし、沖縄出身というわけでもありません。それでも近年、沖縄を舞台にした作品への出演が続いています。実はそこには、家族のルーツにまつわる小さな縁があったんですよ。
生まれる前に亡くなった祖父の話
2025年に放送されたWOWOWの『連続ドラマW 1972 渚の螢火』は、本土復帰直前の沖縄を舞台にしたクライムサスペンスです。高橋一生さんが主演を務め、青木さんは特別対策室のメンバーで捜査一課班長の与那覇清徳役を演じました。
この作品の完成報告会で、青木さんは「生まれる前に亡くなったじいちゃんが、当時沖縄にいたんです」と明かしています。1972年の沖縄を描く作品に、祖父がその時代その場所にいた。「縁があるなと思いつつ、こういう作品に携われてうれしいです」という言葉には、実感がこもっていました。
10代から通い続けた土地
祖父の話とは別に、青木さん自身も沖縄には10代の頃から足を運んでいて、現地に友人もいるそうです。役作りについて聞かれたときには「この顔なので、8割くらいは仕上がっているのかなと思うんですが」とニヤリとしつつ、当時の沖縄を取り巻く問題や事件はよく調べたと語っていました。
役の話し方には「痛快なキャラクターが友達にいて、そういう人のエッセンスを抽出しました」とも。台本の外にある個人的な蓄積を演技へ流し込むあたりが、この人らしいところですね。
沖縄が舞台の作品が続いている
沖縄を扱った作品への出演は、これが初めてではありません。2023年にはWOWOWの連続ドラマW『フェンス』で伊佐兼史役を演じています。基地の街を舞台にした作品で、こちらも重いテーマを扱った内容でした。
大阪・八尾で生まれ育ち、バックパッカーとして世界を回り、祖父の記憶をたどって沖縄に立つ。実家というのは単に建物の場所を指す言葉ではなく、こうした縁がどこから伸びているかを教えてくれるものなのだと感じさせられます。
妻・優香が実家に挨拶に行った日
青木崇高さんといえば、優香さんの夫としても知られていますよね。『ごぶごぶ』では浜田雅功さんに「優香の夫ですって言わなアカンと思いました」とボケてみせるほど、その肩書きを楽しんでいる様子です。この節では、二人の歩みと実家での初対面の話を見ていきます。
『ちかえもん』の共演から結婚まで
二人の出会いは2016年放送のNHK木曜時代劇『ちかえもん』での共演でした。青木さんは以前から優香さんに好意を寄せていたそうで、撮影の打ち上げで朝まで飲んだ後、ホテルに戻るなり電話で「実は好きや」と伝えたと明かしています。
「佇まいとかスタッフさんに対する気遣いとか、そこを見てたまんねぇな!って」というのが本人の弁です。ただ、最初の告白では「考えておく」と返され、すぐにOKはもらえませんでした。その後何度か食事を重ねるうちに交際が始まり、優香さんの誕生日にプロポーズ。2016年6月27日、優香さんの36歳の誕生日に入籍しています。翌月には明治神宮で挙式しました。
両親は交際すら知らなかった
ここで実家の話に戻ります。青木さんは交友関係を親に話すタイプではなく、両親は実家に連れて行かれるまで優香さんとの交際を知らなかったそうです。前触れもなく、あの優香さんが息子の結婚相手として現れたわけですね。
父親はもともと優香さんのファンでしたから、その驚きは想像に難くありません。2024年4月放送の『A-Studio+』では、優香さんが初めて実家に挨拶に行ったときの両親の反応が語られました。母親が出演した際には、優香さんからプレゼントされたネックレスを身につけていたそうで、嫁姑の関係も良好なようです。
結婚10年目に入った夫婦の距離
下記の表に、二人の歩みを時系列で整理しました。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2016年1〜3月 | NHK『ちかえもん』で共演 |
| 2016年6月27日 | 優香さんの誕生日に入籍 |
| 2016年7月27日 | 明治神宮で挙式 |
| 2019年11月 | 第1子の妊娠を発表 |
| 2020年4月27日 | 第1子の誕生を連名で報告 |
『A-Studio+』では鶴瓶さんからの「結婚こそ新しい旅やぞ」という言葉に、青木さんが「ほんまですね」と実感のこもった声を漏らす場面もありました。世界中を旅してきた人がそう言うのですから、なかなか説得力がありますよね。
子供はいますか?家族の今とこれから
「青木崇高には子供はいますか?」という質問も、検索ではよく見かけます。答えは「います」です。ただ、公表されている情報はごく限られていて、そこには夫婦なりの考え方がうかがえます。最後にこの節では、家族の現在とこれからの活動をまとめます。
2020年4月に第1子が誕生
2020年4月27日、青木さんと優香さんは連名で第1子の誕生を報告しました。「多くの方々の力をお借りして無事に出産できたこと、心より感謝いたします」というコメントとともに、温かく見守ってほしいと綴っています。
ただし子どもの誕生日や性別、名前は公表されていません。一般の子どもとしての生活を守るための判断で、こうした姿勢を取る芸能人夫婦は近年増えています。ネット上には性別を断定する書き込みも見られますが、公式に確認された情報ではない点は押さえておきたいところです。
コロナ禍の出産と、窓の外からの声
出産は緊急事態宣言と重なりました。青木さんは立ち会いこそぎりぎり間に合ったものの、その後は産院へ行けなくなってしまいます。そこで犬の散歩がてら病院の近くまで行き、メールで窓を開けてもらって外から「愛してるぞ~!」と叫んだのだそうです。
ところが後で聞いてみると、産後でとんでもなく辛い時期だったらしく、反応は「はい、ありがとう」だったのだとか。本人は「あ~わかってねぇんだなって」と反省したと語っています。微笑ましくもあり、当時の状況の切実さも伝わってくる話です。
八尾で育った人が次に向かう場所
2026年で青木さんは46歳になりました。近年も映画『ミッシング』『蛇の道』、ドラマ『十角館の殺人』『龍が如く〜Beyond the Game〜』と話題作が続き、2027年放送のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』では栗本鋤雲役での出演が発表されています。
俳優としての活動と並行して、絵画やアートワークにも力を注ぎ続けているのは前述の通りです。八尾の魅力大使として地元に恩返しをし、万博の作品を通じて「平和」を形にする。子どもたちに「素敵なバトンを渡したい」と語る姿を見ていると、実家のある町で育った時間が今も静かに効いているのだろうなと思わされます。
青木崇高の実家についてのまとめ
- 実家があるのは大阪府八尾市で、生まれも育ちも同市内
- 町名や番地といった詳しい住所は公表されていない
- 家族構成は両親と姉・兄の5人で、本人は末っ子
- 両親は共働きで、幼少期は祖母が面倒を見ていた
- 父親は一般人だが社交性が高く、河内音頭も踊る
- 父親は息子が知り合う前から優香のファンだった
- 母親は小学校の教員をしていたとされる
- 母親は料理上手で、手作り弁当をフードライターが絶賛
- 出身中学は八尾市立曙川中学校で、芸人の水本健一と同級生
- 出身高校は1895年創立の伝統校、大阪府立八尾高校
- 大学には進学せず、上京してグラフィックデザインの専門学校へ
- 在日韓国人という噂はデマで、日本国籍の日本人
- バックパッカー経験とニューヨーク留学で英語力を培った
- 生まれる前に亡くなった祖父が1972年当時の沖縄にいた
- 2016年に優香と結婚し、2020年に第1子が誕生している
- 2012年から八尾の魅力大使として地元に関わり続けている


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