斉藤暁さんの家族について、妻はどんな人なのか、子供は何人いるのか、息子や孫とはどのように過ごしているのか気になっている方もいるでしょう。斉藤さんには元妻との間に2人の息子がおり、2025年の徹子の部屋では孫2人についても語っています。
科捜研の女の日野所長や、踊る大捜査線の秋山副署長でおなじみの斉藤さん。家庭では結婚と離婚、元妻との別れを経験し、その後は息子たちとの関係についても話しています。
この記事では、斉藤暁さんの結婚と元妻への思い、長男・次男や孫とのエピソードを紹介します。現在の妻や再婚に関する疑問とあわせて、福島での原点、代表作、2026年の舞台や音楽活動もたどります。
- 斉藤暁の家族を紹介|元妻・息子・孫との関係
- 斉藤暁の家族を知る背景|故郷・代表作・現在の活動
斉藤暁の家族を紹介|元妻・息子・孫との関係
- 妻は福島の劇団仲間|結婚と現在の再婚について
- 結婚生活は17年|本人が語った離婚の理由
- 元妻の死と最後の別れ|葬儀に参列しなかった経緯
- 子供は息子2人|長男と次男はどんな人?
- 息子たちとの和解|次男との二世帯住宅での暮らし
- 孫は2人|写真や手作りの曲に表れる祖父の顔
妻は福島の劇団仲間|結婚と現在の再婚について
斉藤暁さんが結婚した相手は、地元・福島で同じ劇団に所属していた女性です。23歳で上京するころに結婚しました。俳優として広く知られる前から、芝居を通してつながっていた相手だったんですね。
同じ劇団で芝居に向き合っていた2人
斉藤さんは東京に出る前、地元のテレビ局で働きながら劇団の活動に参加していました。仕事だけでは味わえなかった、仲間と作品を考えて形にする時間を楽しんでいたと振り返っています。その劇団に、当時交際していた女性も所属していました。
本人の2022年のインタビューでは、自由劇場の試験について教えてくれたのも妻だったと話しています。斉藤さんは東京の芝居を実際に見て刺激を受け、試験に合格するとテレビ局を辞めました。結婚と上京は、演劇の世界へ踏み出す転機と重なっています。
郡山での最後の舞台は夫婦の二人芝居
上京前、斉藤さんは妻と郡山で二人芝居を行いました。舞台美術を手がけたのは、東京へ出るよう背中を押してくれた画家の猪熊克芳さんです。大きな会場での華やかな出発ではなく、地元の仲間と一緒に作った舞台を経て、東京での生活が始まりました。
こうした経緯を知ると、元妻は結婚相手であると同時に、俳優になる前の斉藤さんの芝居を知っていた人でもあったと分かります。後年の番組でも、斉藤さんは元妻の存在が上京につながったという趣旨の話をしています。その役割を、単に有名俳優の妻という言葉だけで捉えるのは難しそうです。
現在の妻や再婚については詳しく語られていない
一方、元妻との結婚歴があることと、現在の婚姻状況は別の話です。斉藤さんは2025年の徹子の部屋で元妻との別れや息子・孫について話しましたが、新たな妻については紹介していません。現在の妻や再婚について、詳しいことは分かっていません。
再婚の話がないだけで、現在独身とは断定できません。また、過去の結婚相手を現在の妻として紹介すると、離婚後の歩みと混ざってしまいます。妻について知りたい場合は、福島で出会い、ともに上京した元妻の話として読むと、家族の経緯をつかみやすくなります。
結婚生活は17年|本人が語った離婚の理由
斉藤暁さんと元妻の結婚生活は、本人が徹子の部屋で語ったところでは17年で終わりました。離婚については、十分な収入がなかったことを理由に挙げています。人気作でおなじみの姿からは想像しにくい、仕事が軌道に乗る前の話です。
上京してすぐに俳優業で暮らせたわけではない
斉藤さんは自由劇場に入ったあと、仕事が少なく、いろいろなアルバイトをしていたと話しています。劇団で芝居を続けることと、それを収入につなげることは同じではありませんでした。舞台に立っていても、家計を支えるだけの収入を得られない時期があったのです。
本人は、舞台の上海バンスキングでようやく報酬を受け取れるようになったとも振り返っています。のちにテレビで活躍する斉藤さんにも、芝居を続けながら生活の仕事を探す期間がありました。離婚の説明は、そんな自身の仕事と収入を振り返った言葉として受け止めると分かりやすいでしょう。
別れを望まなかった本人と母を支持した長男
2025年の徹子の部屋で、斉藤さんは妻から別れの話が出たことを明かしました。子供がいることもあり、自分は離婚に反対したそうです。しかし、長男は母親の側に立ち、離婚を求めていたと説明しています。家族の中で、それぞれの考えが違っていたことが伝わる場面です。
ただし、元妻や長男が家庭についてどう感じていたのか、そのすべてが語られているわけではありません。斉藤さんの説明から分かるのは、本人が収入の少なさを反省し、妻から別れを求められたと振り返っていることです。そこから夫婦の言い争いや、元妻の細かな心情まで想像する必要はありません。
離婚後に映像の仕事が広がっていく
離婚後、斉藤さんは家を出て仕事に向き合い、俳優業で生活できるようになったと語りました。別のインタビューでは、映像の仕事が増える中でCM出演が生活の助けになったことも話しています。仕事での転機と家庭での転機が、同じ速さで進んだわけではなかったんですね。
結婚からその後の仕事までを、出来事の順に整理すると次のようになります。
| 段階 | 本人が語った出来事 |
|---|---|
| 上京するころ | 福島の劇団仲間だった女性と結婚 |
| 結婚生活 | 息子2人が生まれ、17年で離婚 |
| 離婚後 | 家を出て働き、俳優業で暮らせるようになる |
離婚を語るとき、斉藤さんは自分の収入の問題を口にしています。外から見える成功だけでは、当時の家庭の事情までは分かりません。代表作が増える前の長い歩みを知ることで、この話の背景を理解しやすくなります。
元妻の死と最後の別れ|葬儀に参列しなかった経緯
元妻が亡くなったことを斉藤暁さんに知らせたのは次男でした。離婚後に届いた訃報を受け、斉藤さんは葬儀に行きたいと考えましたが、長男から反対されたと話しています。葬儀に参列しなくても、近くまで足を運んで別れを告げました。
次男からの連絡で知った突然の別れ
2025年の徹子の部屋では、元妻が入院し、心臓の手術を受けた翌日に亡くなったと語っています。斉藤さん自身も突然の知らせとして受け止めていた様子が、本人の話から伝わります。ただ、手術の詳しい内容や、亡くなった原因までは説明していません。
手術の翌日に亡くなったという順番だけで、手術の失敗が原因だったと判断することはできません。このエピソードで大切なのは、離婚後も息子から母親の知らせが届いたことと、斉藤さんが最後のお別れをしたかったという思いです。医療上の原因を推測して話を広げるのは避けたいところです。
参列を見送り、近くから手を合わせた
斉藤さんは葬儀に行くと伝えたものの、長男が反対したと振り返っています。そこで会場の中には入らず、近くまで足を運びました。次男は電話で葬送の進み具合を伝えてくれたそうです。斉藤さんは煙が上がるのを見ながら、元妻に別れを告げたと話しました。
参列できなかったという部分だけを読むと、何もしなかったように感じるかもしれません。しかし本人の話には、最後に手を合わせようと足を運んだ行動も含まれています。長男の考えを受け入れたことと、自分なりに別れを告げたことが、同じ出来事の中にあるのです。
旅先のホテルで元妻を見たと語った体験
その後、斉藤さんは旅公演で滞在したホテルで、元妻が部屋の入り口に座っているのを見たと話しています。生前に見覚えのあった着物姿で、話しかけようとすると姿が消えたそうです。本人はあいさつに来てくれたと受け止め、手を合わせたと振り返りました。
これは斉藤さんが語った個人的な体験です。幽霊の存在を確かめた話として扱う必要はありません。斉藤さんは、この出来事で悲しみが軽くなったとも話しています。別れのあとに残った思いを、本人がどう受け止めてきたかを知るエピソードといえます。
2026年のインタビューでも、斉藤さんは亡くなった人とのつながりについて触れました。元妻のことを語る場面は、離婚の話だけでは終わりません。別々の人生を歩んだあとにも残る存在の大きさが、本人の言葉から感じられます。
子供は息子2人|長男と次男はどんな人?
斉藤暁さんの子供は、元妻との間に生まれた2人の息子です。本人は徹子の部屋でも、2人とも男の子であると話しています。子供の人数は2人で、長男と次男がいます。詳しい年齢や職業は本人が十分に紹介しておらず、分かっていません。
長男はスペイン人女性と結婚したと紹介
2025年の番組で斉藤さんが語ったところでは、長男はスペインが好きで、スペイン人女性と結婚し、男の子が生まれています。斉藤さんにとっては長男が父親になり、自分が祖父になったという家族の変化です。長男本人の仕事の話より、結婚して家族を持ったことが紹介されました。
一方で、どの町に住んでいるのか、何の仕事をしているのかを、この話だけで決めることはできません。結婚相手の国籍から勤務先や仕事の種類まで分かるわけではないからです。長男については、父親が番組で語った結婚と子供の話が、家族を知るうえでの具体的なエピソードになります。
次男は母親の訃報を父に伝えた息子
次男は、元妻の死を斉藤さんに電話で知らせた人です。父親が葬儀に参列しなかった際にも、葬送の進み具合を電話で伝えました。斉藤さんの話の中では、離れている父と会場をつなぐ役割を担った息子として登場しています。
2025年の番組では、斉藤さんが次男との二世帯住宅での暮らしを話し、次男には娘がいることも紹介しました。長男と次男それぞれに子供が生まれ、家族の世代が広がったわけです。ただ、こうした出来事から兄弟の性格を比較したり、どちらが父親思いかと評価したりする必要はありません。
テレビで演じる父親役と実際の子供の違い
斉藤さんはドラマで父親役を演じているため、共演者を実際の子供と結びつけてしまうこともありそうです。たとえば、2017年のひよっこでは米屋の店主・安部善三を演じ、伊藤沙莉さんが娘役を務めました。2人のテンポのよい応酬について、斉藤さんもインタビューで楽しそうに振り返っています。
その親子は作品の中の設定で、伊藤さんが斉藤さんの実の娘という意味ではありません。日野所長など長く演じた役についても、役柄の家族と俳優本人の家族を分けると混乱しにくくなります。息子2人の話は、ドラマの登場人物ではなく、斉藤さんが自分の家庭について語った内容です。
息子たちとの和解|次男との二世帯住宅での暮らし
元妻の葬儀をめぐる話を聞くと、息子との関係がその後どうなったのか気になりますよね。斉藤暁さんは2025年の徹子の部屋で、息子たちと和解し、次男との二世帯住宅で暮らしていることを話しています。
葬儀のときの対立が親子関係のすべてではない
長男から参列を反対されたという出来事は、元妻との最後のお別れに関わる話です。そのときの長男の言葉だけで、以後も親子がずっと疎遠だったと考えると、本人が語ったその後の経緯が抜け落ちます。番組では、過去の難しい関係と、のちの和解が両方紹介されました。
いつ、どのような話し合いを経て和解したのかは、詳しく語られていません。それでも、本人が和解を伝えたことには意味があります。離婚の際に考えが分かれた親子について知りたいなら、対立した出来事の続きを含めて読むことで、一場面だけでは見えない家族の歩みをつかめます。
二世帯住宅が示す父と次男の暮らし
二世帯住宅とは、一般に親の世帯と子の世帯など、二つの世帯が暮らす住宅を指す言葉です。斉藤さんの番組での説明では、その相手は次男でした。親子で暮らす住まいについて話したのであって、家族全員が同じ一つの世帯になったという意味ではありません。
以前に家を出たという話と、のちに次男との二世帯住宅で暮らしているという話も、矛盾しません。別々の時期の出来事だからです。斉藤さんの暮らしをたどるうえでは、離婚直後の生活から、年月を経て次男の家族と近くで暮らす形へ変わったことが、分かりやすい変化になります。
住まいの話から伝わることと伝わらないこと
次男には娘がおり、斉藤さんは祖父としての顔も見せています。ただし、毎日の食事や家事の分担、孫との送り迎えといった生活の細部までは話していません。二世帯住宅と聞くだけで、斉藤さんがいつも子育てを手伝っていると想像してしまうのは、本人の話を越えてしまいます。
知ることができるのは、親子の和解と、番組で紹介された暮らしの形です。住宅の価格や広さより、別れを経験した家族がその後どうつながっているのかに目を向けると、斉藤さんが家庭について語った内容の意味が伝わってきます。住所や住宅の外観を知らなくても、その変化は十分に理解できます。
元妻との離婚、葬儀での別れ、息子たちとの和解は、それぞれ異なる出来事です。どれか一つで家族関係を決めつけず、時間の流れに沿って受け止めることが、このエピソードを理解する助けになります。
孫は2人|写真や手作りの曲に表れる祖父の顔
日野所長の印象が強い方には、孫の話をする斉藤暁さんの顔も新鮮かもしれません。2025年の徹子の部屋では、長男の息子と次男の娘、2人の孫について紹介しました。孫のかわいさを語るだけでなく、その存在を曲にしたこともあります。
玄関に並ぶ写真が家族の話題に
番組で斉藤さんは、自宅の玄関に孫たちの写真をたくさん置いていると話しました。家庭のすべてを見せたわけではありませんが、孫について尋ねられた際の具体的なエピソードです。日々の暮らしの中に、孫の写真を飾る場所があることを本人が紹介したんですね。
2人の孫は、長男と次男それぞれの子供です。子供と孫の人数を混ぜて数えると、斉藤さん自身に男の子と女の子の子供がいるように誤解してしまいます。斉藤さんの子供は息子2人で、その次の世代として孫2人がいる、という順番で捉えるとすっきりします。
孫を思って作ったもらった飴玉
2022年の本人インタビューでは、孫の女の子を思って、もらった飴玉という曲を作ったと話しています。斉藤さんはトランペットだけでなく、作詞や作曲にも取り組む人です。孫ができた経験が、自分の音楽を生み出すきっかけにもなっていました。
家族への思いを言葉にする方法はさまざまですが、斉藤さんの場合は歌を作る形にも表れています。誰かの作品を孫のために演奏するだけでなく、自分で曲を考えるところが面白いですよね。俳優としての姿と、音楽を楽しむ姿、祖父としての姿が、一つのエピソードの中につながっています。
過去の年齢を現在の年齢に置き換えない
曲の話をした2022年のインタビューでは、孫の女の子は3歳と紹介されました。一方、2025年の番組では次男の娘が小学生だと話しています。どちらも、その話をした年の説明です。古い記事にある3歳という数字を、いつ読んでも変わらないプロフィールのように扱うことはできません。
孫の詳しい生年月日を知る必要はなく、斉藤さんが成長の途中にある孫について話してきたことが分かれば、家族の時間の流れは伝わります。学校名や日常の行動も、このエピソードを楽しむために欠かせない情報ではありません。写真や曲について語った本人の話が、祖父としての素顔を知る手がかりになります。
孫を題材にした歌を作るという話は、斉藤さんの音楽が家族の経験とも結びついていることを示しています。ドラマの役柄とはまた違う、本人の表現活動として楽しめる一面です。
斉藤暁の家族を知る背景|故郷・代表作・現在の活動
- 実家は福島県郡山市|父・兄とテレビ局時代
- 若い頃は自由劇場へ|東京壱組までの歩み
- 科捜研の女の日野所長|役柄の妻子と本人の家族
- 踊る大捜査線で人気に|スリーアミーゴスの舞台裏
- トランペットは長年の特技|歌や作曲にも取り組む
- 2026年も舞台に出演|声優として伝える福島への思い
実家は福島県郡山市|父・兄とテレビ局時代
斉藤暁さんは1953年10月28日生まれで、福島県郡山市の出身です。実家は電気店を営んでいたと本人が話しています。家族の中で商売を継ぐ道があったところから、別の仕事を経て俳優を目指すようになりました。
父が思い描いていた家業を継ぐ道
2022年のインタビューで、斉藤さんは父親が息子たちに電気店を継がせたかったと話しました。斉藤さんは工業高校の電気科に進み、卒業後は兄とともに店の仕事を手伝っています。しかし、本人は電気の勉強や仕事が自分には合わないと感じていたそうです。
家業を手伝ったのち、父親と衝突して家を出たという話もしています。その後、友人を通じて地元のテレビ局の仕事を知り、職場を変えました。最初から俳優になるためだけに上京したという一本道ではなく、家業との違和感や転職を経て、芝居へ進んだ人だったのです。
福島中央テレビで働きながら劇団へ
勤めていた局については、2026年の本人インタビューで福島中央テレビだったと明かしています。2022年の話では、照明と大道具の仕事を一人で担当していたと振り返りました。テレビ局の仕事を経験していても、そのころは出演者として画面に出ていたわけではありません。
局に勤めていた期間の後半に、地元の劇団へ参加するようになります。作品をどう作るか、仲間と話すことが楽しかったそうです。テレビの現場を支える仕事と、舞台の作品を考える時間。この二つを経験したあと、東京の劇団の試験を受け、俳優の道へ進むことになりました。
震災の経験と、いまも続く故郷とのつながり
東日本大震災では、郡山の実家も被災しました。本人は、兄が継いだ電気店の被害や、母親が暮らしていた施設をきょうだいで探し直したことをインタビューで語っています。福島への思いは、出身地の紹介にとどまらず、家族の経験と結びついているのです。
郡山市が公開する滞在イメージ動画・人生(たび)の途中にも、斉藤さんが出演しています。市の紹介では、本人の郡山弁も見どころとして挙げられました。上京して俳優として活動したあとも、故郷の言葉や地域とのつながりを仕事の中で表現しています。
実家について知りたい場合、郡山で電気店を営む家族のもとに育ったことが、俳優になる前の道のりを理解するうえで大切な部分です。店舗や住宅の詳しい場所を探さなくても、家業からテレビ局、そして演劇へと進んだ歩みをたどれます。
若い頃は自由劇場へ|東京壱組までの歩み
斉藤暁さんの若い頃をたどると、地元の劇団から東京の自由劇場へ進み、のちに東京壱組の創立メンバーになったという舞台の歩みがあります。テレビで顔を知られる前から、長く芝居を続けていた俳優です。
東京の芝居に驚き、試験を受けた
斉藤さんは、妻に教えられて自由劇場の芝居を見たと語っています。地元で見ていた舞台とは違う演出や、客席との距離の近さに驚いたそうです。東京で芝居をするという選択は、単に場所を変えることではなく、本人がまだ知らなかった表現に出会うことでもありました。
試験に合格し、23歳で上京して自由劇場に入りました。ただ、劇団に入れたからといって、すぐに大きな役や安定した仕事が待っていたわけではありません。アルバイトをしながら芝居を続け、役をもらう機会を待つ日々があったと本人が振り返っています。
福島訛りの矯正で悩んだ時期
当時、斉藤さんが苦労したのが福島訛りでした。アクセント辞典を使い、言葉のどこにアクセントを置くか印をつけて練習したそうです。しかし、発音ばかりを気にすると、役の感情を表す余裕がなくなってしまったとも話しています。
そんなときに声をかけてくれたのが、先輩の吉田日出子さんでした。役づくりがよい方向へ進んでいると励まされ、訛りを直すことだけにこだわらなくてよいと感じたそうです。斉藤さんは、その声かけが俳優を続けるうえで大きかったと振り返っています。辞書を使った練習だけでは補えない、先輩との出会いもあったんですね。
1986年に東京壱組の結成へ参加
1986年、斉藤さんは自由劇場出身の大谷亮介さんや余貴美子さんとともに、東京壱組の創立メンバーになりました。舞台を作る仲間との活動を続けながら、テレビや映画など映像の仕事にも取り組むようになります。舞台と映像を行き来する歩みが、このころから広がりました。
本人のインタビューによると、東京壱組のメンバーはそれぞれプロダクションに所属し、舞台公演のときに集まる形でした。劇団の名前を持つ一方で、個々の俳優が別の場所でも仕事をする活動だったわけです。斉藤さんの経歴も、劇団を一つ移ったというだけではなく、出演する場が増えていく流れとして読めます。
その後、特撮や刑事ドラマで顔を覚えられるようになっても、舞台の出演は経歴の大切な部分です。2026年にも舞台に立っており、若い頃に選んだ演劇の世界が、その後の俳優人生に続いています。
科捜研の女の日野所長|役柄の妻子と本人の家族
斉藤暁さんといえば、科捜研の女で演じた日野和正所長を思い浮かべる方も多いでしょう。日野には妻子がいるという設定がありますが、日野の家族設定は、斉藤さん本人の家庭とは別です。長く見てきた役ほど、俳優の素顔と重なって感じられることがありますよね。
最初に演じた研究員は榎戸輝男
斉藤さんは1999年の第1シリーズでは、研究員の榎戸輝男を演じました。その後、第5シリーズから日野和正という別の役で登場しています。同じ番組に同じ俳優が出ていても、最初からずっと日野役だったわけではないのです。
本人も2022年のインタビューで、初期の榎戸役と、その後の日野役を分けて説明しています。のちに所長となる日野の印象が強くても、シリーズ初期を見ると違う人物として登場する理由は、そこにあります。再放送などで過去の姿に触れるときに、覚えておくと分かりやすいポイントです。
日野は文書鑑定を担当する科捜研所長
日野の担当は文書鑑定です。文字や印影などを調べる専門分野を受け持ち、所長として研究員たちをまとめる立場にあります。以前の作品紹介では、過労で倒れた経験からメンバーの働き方に気を配る人物としても説明されました。事件の分析と、組織を支える役割の両方を持っています。
役柄では、もともと警視庁の科捜研にいて、京都へ異動したため、妻子を東京に残して単身赴任しています。この設定を斉藤さん自身の住まいや結婚歴に当てはめることはできません。次男との二世帯住宅について語った斉藤さんの家庭と、京都で働く日野の家庭は、別々の話として読んでください。
2026年のファイナルにも日野役で出演
2026年1月23日に放送された科捜研の女 ファイナルにも、斉藤さんは科捜研所長兼文書研究員の日野和正役で出演しました。作品は1999年から続いたシリーズの締めくくりとして案内されています。これから放送される新作という扱いではなく、すでに放送された出演作です。
斉藤さんは沢口靖子さんとの撮影について、疑問を曖昧なままにせず、理解して演じる姿勢が長く続く作品につながったと振り返っています。共演を通して学んだことも話しており、日野役が本人の俳優人生の中で大きな仕事だったことが伝わります。
シリーズの終了は、俳優本人の引退を意味しません。斉藤さんは同じ2026年に舞台にも出演しています。日野所長としての歩みを振り返りながら、舞台など別の場での活動にも目を向けると、現在の仕事の広がりが見えてきます。
踊る大捜査線で人気に|スリーアミーゴスの舞台裏
1997年に始まった踊る大捜査線で、斉藤暁さんは秋山副署長を演じました。北村総一朗さん、小野武彦さんとの3人組・スリーアミーゴスでも知られています。軽やかに見える掛け合いの裏では、短い場面も繰り返し練習していたと本人が語っています。
3人の俳優が作る湾岸署の管理職
スリーアミーゴスは、湾岸署の管理職3人を中心とする組み合わせです。斉藤さんの秋山副署長、北村さんの神田署長、小野さんの袴田という、違う立場の人物が会話を重ねます。事件を追う登場人物とは違う場所から、職場の空気を作る役どころでした。
斉藤さんは、年上の小野さんに対して役の上では上司を演じることを、少しやりづらかったと笑って振り返っています。実際の年齢や先輩後輩の関係と、登場人物同士の上下関係が違うところも、俳優の仕事ならではの話です。
待ち時間にも食事中にもセリフを合わせた
2022年のインタビューで、斉藤さんは北村さんの声かけで3人が集まり、撮影前にセリフを練習していたと話しています。三つか四つの短いセリフしかない場面でも、何度も繰り返していたそうです。画面では気軽に交わしているように見える言葉にも、準備の時間がありました。
撮影が遅れたときには、その待ち時間にも練習を続け、食事をしている間にもセリフを合わせたと振り返っています。笑いの場面は言葉の内容だけでなく、間や受け答えでも印象が変わります。この話を知ると、3人の会話を見返したときに、セリフを渡すタイミングにも注目したくなりますよね。
テレビから舞台へも広がった3人の活動
斉藤さんは3人で舞台をしようと提案したことも明かしています。その後、舞台も踊る大捜査線 ザッツ!!スリーアミーゴスが上演され、フジテレビから映像作品も発売されました。テレビの一場面で親しまれた組み合わせが、舞台の主役にもなったのです。
主な役の組み合わせを整理すると、次のとおりです。
| 俳優 | 代表的な役 |
|---|---|
| 北村総一朗さん | 神田署長 |
| 斉藤暁さん | 秋山副署長 |
| 小野武彦さん | 袴田課長 |
この表はシリーズでの代表的な呼び方で、役職は作品によって変わります。役を離れた本人の話を聞くと、親しまれた3人の演技が、練習と提案を重ねて形になったことが分かります。斉藤さんの代表作を振り返るなら、完成した場面だけでなく、そんな制作のエピソードも面白い部分です。
トランペットは長年の特技|歌や作曲にも取り組む
斉藤暁さんは、演技だけでなくトランペットの演奏でも知られています。演奏に加え、歌や作詞・作曲にも取り組んでいます。番組の役柄として楽器を持つだけではなく、本人が長く続けてきた音楽活動です。
中学生のころに始め、20代で再び楽器を手に
2022年のインタビューでは、中学2年生でトランペットを始め、社会人になって一度離れたものの、28歳ころに再開したと紹介されています。最初の出会いと、再び熱中するようになった時期があるわけです。2026年のインタビューでも、若いころ仕事が少なく、何か支えになるものが欲しかったと振り返っています。
役のオーディションや出演の機会を待つ一方、自分で楽器を手に取って音を出す時間も持っていたのです。俳優の仕事があるときだけの活動ではなく、仕事の合間にも続けられる表現として、音楽に親しんできたことが分かります。
故郷を歌う曲をテレビのスタジオで披露
斉藤さんはコンサートやジャズフェスティバルに参加し、バンドを組んで、トランペットと歌を組み合わせるスタイルでも活動しました。自分で曲を作るため、演奏する曲の中には本人の経験や故郷への思いが入ったものもあります。楽器の演奏だけを切り取るより、歌まで含めて聴くと活動の幅が伝わります。
2025年の徹子の部屋では、故郷を歌ったBeauty 安達太良をスタジオで披露しました。還暦の記念に作った曲として、以前のインタビューでも紹介された作品です。斉藤さんにとって福島は、芝居や声の仕事に加え、音楽でも取り上げる身近な題材になっています。
作曲とボランティア演奏へ広がる楽しみ
2026年のインタビューでは、CDを発売したことや、その年から老人ホームを回るボランティア演奏を始めたことにも触れています。施設で演奏すると喜んでもらえると話し、その反応を楽しんでいることが伝わりました。俳優として出演する場とは違う場所でも、音楽を届けているのです。
曲の題材には故郷だけでなく、孫を思って作った歌や、8020運動にちなんだ8020もあります。8020運動は、80歳になっても自分の歯を20本以上保つことを目指す取り組みです。家族の出来事から身近な取り組みまで、違った題材を自分の曲にしているところにも、作り手としての楽しみが表れています。
過去には、撮影が止まっていた期間を曲作りに使ったとも話しています。仕事の状況が変わっても、別の表現に向き合う時間があったんですね。斉藤さんの活動を知るうえでは、出演作品に加えて、自分で音を作り、人前で届ける音楽の歩みも欠かせない部分です。
2026年も舞台に出演|声優として伝える福島への思い
斉藤暁さんは2026年に、舞台・小さな神たちの祭りに出演しました。八乙女光さんが演じる主人公の祖父役です。家族を失った人の思いを描く作品に、祖父として登場しました。家庭での経験や故郷への思いについて、本人が語る機会にもなった仕事です。
2026年春の舞台で演じた祖父・行雄
小さな神たちの祭りは、内館牧子さんの小説を原作とする舞台です。東日本大震災で家族の消息が分からなくなった青年・谷川晃が、喪失と向き合う物語を描きます。斉藤さんは祖父の行雄を演じ、不思議なタクシーを通じて主人公と家族をつなぐ役を担いました。
公演は2026年3月30日に東京で開幕し、福島、大阪、岩手、愛知、宮城でも上演されました。福島公演の会場は、地元・郡山のけんしん郡山文化センターです。テレビの代表作だけを振り返ると見落としがちですが、同じ年に舞台への出演も続いていました。
亡くなった人とのつながりについて語る
2026年のインタビューでは、斉藤さんは元妻との別れや、故郷が被災した経験に触れています。そのうえで、亡くなった人とのつながりが、生きている人にとって必要なのではないかという思いを話しました。作品の家族と本人の家族は別ですが、本人が役に向き合う際に考えたこととして興味深い話です。
震災の記憶を風化させたくないこと、作品が癒しにつながればという願いも語っています。単に祖父役が似合う年齢だから出演したという説明では捉えきれない、福島出身の本人にとっての意味がある仕事だったのです。観客への願いは、本人がインタビューで話した言葉として受け止められます。
アニメ映画では福島弁で飼い主の声を担当
声優としての仕事には、2022年公開の、とんがり頭のごん太-2つの名前を生きた福島被災犬の物語-があります。斉藤さんが声を担当したのは、被災犬ごん太の飼い主・富田清です。福島県浪江町の一家と犬を描く作品で、故郷の言葉を使って演じました。
若いころ、劇団では福島訛りを直すよう求められていた斉藤さん。それだけに、この映画で福島弁を使って演じられることがうれしかったと話しています。以前は悩みになった言葉が、別の作品では大切な表現になったというつながりです。
舞台での祖父役、アニメでの声の仕事、故郷を題材にした音楽は、それぞれ異なる表現です。家族について語った斉藤さんを知ると、こうした作品に触れたときにも、役と本人を分けながら、本人が大切にしているテーマに目を向けて楽しめます。
斉藤暁の家族と現在の活動についての総括
- 斉藤暁さんの子供は元妻との間に生まれた息子2人である
- 結婚相手は福島で同じ劇団に所属していた女性である
- 23歳で上京するころに結婚し、郡山で夫婦の二人芝居を行った
- 結婚生活は17年で終わり、本人は収入の少なさを離婚理由に挙げた
- 元妻の訃報は次男から伝えられた
- 葬儀には参列せず、近くまで足を運んで最後の別れを告げた
- 2025年の番組では息子たちと和解したことを話した
- 同じ番組で次男との二世帯住宅での暮らしを紹介した
- 長男はスペイン人女性と結婚し、息子がいると紹介された
- 2025年に紹介された孫は長男の息子と次男の娘の2人である
- 現在の妻や再婚については詳しく分かっていない
- 福島県郡山市出身で、家業の電気店や地元テレビ局の仕事を経験した
- 自由劇場を経て東京壱組の創立メンバーとなった
- 代表役は踊る大捜査線の秋山副署長と科捜研の女の日野所長である
- 2026年は舞台出演に加え、作曲やトランペットの演奏活動も語った


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